2026年10月 · 私たちの物語

アムステルダムのコーヒーショップはどう始まったか — そして店名の由来

コーヒーショップは立法者が考え出したものではありません。1970年代に店主たちがその場で作り上げ、法律が後から追いついたのです。その短い歴史と、私たちの店名の由来をご紹介します。

どこが最初だったかは今も決着していない

最初の店としてよく挙げられるのが、1973年にヴェルナルト・ブラウニングが開いたメロウ・イエローです。2017年まで続きましたが、アムステルダム市が学校から一定の距離内でのコーヒーショップ営業を認めなくなり、閉店しました。

1975年、それまでメルクヴェフ(ライブハウス)の専属販売人だったマールテン・ブリュッセラーズが、市内中心部のルスラント通りにあった古い店を買い取りました。その店は現在も営業していますが、名前は変わって The Hit となっています。

その数か月後、同じ1975年にヘンク・デ・フリースが最初のブルドッグを開きました。三者それぞれに言い分があり、当事者同士も完全には一致していません。

ルールは店主たちが自分で書いた

1976年、オランダのアヘン法が改正されました。ソフトドラッグとハードドラッグを区別し、個人使用のための少量は密売として扱わないことになったのです。この区別が、その後のすべての土台になりました。

ただし、具体的なルールは誰も書き記していませんでした。そこで店主たちが自分で定めたのです。ブリュッセラーズは同業者とともに店内規則をまとめました。16歳未満には販売しない、1人30グラムまで、転売禁止、ハードドラッグと武器の持ち込み禁止。それをタバコのフィルターチップに印刷し、ポスターにして壁に貼りました。袋には NIET VOOR HANDELSDOELEINDEN(商業目的ではない)と印字しました。7か月後に警察の捜索を受けた際、この主張は検察がそれ以上追及しない程度には通用しました。

寛容政策は官庁で設計されたのではありません。こうした店の中で即興的に作られたのです。

1978年 — 小さな気球が上がる

ブラウニングは1978年にメロウ・イエローの経営から退きました。同じ年、彼はブリュッセラーズとともにローテル通りに店を開きます。二人にとって初めての共同事業で、うまくいくかどうかは誰にもわかりませんでした。そこでブラウニングは、まさにそのことを表す名前を提案しました。

オランダ語の een proefballonnetje oplaten は「観測気球を上げる」という意味です。試しにやってみて、風向きを見る。こうして店は Het Ballonnetje(小さな気球)と名づけられました。

最初はまったくうまくいかなかった

計画には見込み違いがありました。ブリュッセラーズは向かいの建物の学生たちをあてにしていましたが、彼らは想像よりずっとよく勉強し、あまり吸わなかったのです。共同経営も続きませんでした。ブラウニングは数か月で手を引き、ブリュッセラーズが1983年まで一人で続けました。

扉の上の年号が意味すること

寛容政策は定着し、コーヒーショップは急増しました。1993年にはアムステルダムだけで約550軒。多すぎるということで、1995年以降は新規の追加が止まります。既存の店の経営者が替わることはできても、新しい許可は出されなくなりました。2008年には224軒まで減り、2026年現在は165軒です。

つまり1978年に開いた店は、扉が閉まる前に滑り込んだ少数のうちの一つです。その後に開店した店はどれも本当の意味で新しくはなく、すべて既存の許可を引き継いだものです。

現在の規則は、あのフィルターチップのものより厳しくなっています。16歳ではなく18歳以上、30グラムではなく5グラムまで、入口で身分証の確認。私たちはそれでよいと思っています。観測気球が試していたのはまさにその規則であり、今なお空に浮かんでいる理由でもあるのです。

出典について。 上記の多くは、ヴェルナルト・ブラウニング本人による回想 Het Rusland en het Ballonnetje(Cannabis Conclusions、2022年6月15日)に基づいています。記録された歴史ではなく一個人の記憶であり、どこが最初だったかという問いが決着しない理由の一つでもあります。

ぜひ一度お立ち寄りください — Roetersstraat 12、毎日9時から24時まで営業しています。

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